最強の仕事術「自分が好きなこと」×「社会に役立つこと」
「自分は何がしたいのか?」ではなく、「自分を社会でどう役立てるか」を考える。
自分の仕事を振り返ってみよう。
超基本をおさらい。最強の仕事術は…
0003:馬と島と小さな出版社。ー『馬語手帖 ウマと話そう』
本題に入る前に。
自分の話をすると、いつか馬と話せるようになりたいと、本気で思っている。
というか実は、「本気になれば、馬と話せる気がする!」みたいな、変な自信が昔からある。
この『馬語手帖 ー ウマと話そう』は、石垣島の海辺で乗馬をしたときにお世話になった「波ん馬 ホースライディングスポット」さんで出合った。

偶然、「UTRECHT」さんのwebサイトで初めて見かけたとき、直感的に欲しかったのだけどそのままになってしまっていて、石垣島でようやく出合うことができた1冊。
沖縄のもっと向こう、日本のはしっこ・与那国島にある小さな出版社「kadibooks」さんから発行されている。
まだ本題には入っていないのでまた自分の話をすると、この「馬 と 自然 と 小さな出版社」というアイデンティティーは、とにかくわたしの最高の憧れで、そこを目指すために生きていると言っても過言ではないくらい本気で憧れる。
著者であり編集者であり出版社代表(なのかな?)でもあり、しかも馬と話せるという河田桟さん。
お会いしたことはないけど、もう勝手に憧れてしまうのです。
さて、いよいよ本題。本の内容。
馬と暮らすために与那国島に移住した著者が、手探りで見つけていった馬とのコミュニケーション方法を、わかりやすくやさしい言葉でまとめてくれた1冊。
前述のとおり、この本と出合う前にサイトで見かけて欲しいと思ったにもかかわらず、すぐに購入しなかった理由は明確だった。
馬の本って、専門的でむずかしいのがほとんどだから。
「馬とのコミュニケーション方法なんて高度なこと、もしかしたら専門用語がいっぱい並んでるのかも…」
と余計な心配をしてしまって、自分の手にとって確かめられないweb上でのポチッと購入をためらってしまったのだ。
でも、そんな心配は無用だった。
むずかしいどころか、小中学生に話しかけるようなわかりやすい言葉と、手書きのイラストでやさしく綴られている。
著者は、馬と接して1年半。
自称「ウマに関してはずぶのしろうと」だという。
だからこそ、ひとつひとつ、
「耳がすこし開いている時は、くつろいでいる時」
「白目を見せたときは警戒している時」
など、著者自身が感じた“馬のコトバ”を丁寧に記してくれている。
読んでいると、馬も人間みたいなんだなと、さらに親近感がわく。
わたし、次に馬に会いに行くときは、きっと本当に話せる気がする。
やっぱり、書物は宝物。
余談)
「kadibooks」さんのwebサイトに記されている出版社コンセプトが、本当にすてき。
100冊ぐらいずつオンデマンド方式で刷っているから絶版も在庫破棄もないスタイルにも共感。
わたしも早く、自然のなかで海のそばで馬と一緒に暮らしながら、小さな出版社を営みたいなあ。
2012年初版発行
文と絵:河田桟
発行:カディブックス
◆目次情報
・馬語の学び方
・からだのコトバを読み取る
・間合いを読み取る
・ウマの気持ち
・ウマと話そう
0002:時空を超えて広がる 瞑想の詩ー『みみをすます』
みみをすます
きのうの
あまだれに
みみをすますみみをすます
いつから
つづいてきたともしれぬ
ひとびとの
あしおとに
みみをすます
ではじまる詩、「みみをすます」。
まずは、手にとってゆったりと読んでみてほしいというのが本音。
全文をここに掲載したいくらい。
自分が生まれたときの、あの瞬間に「みみをすます」。
地球のどこかにあった、いつかの場所に「みみをすます」。
いまとなりにいる人に「みみをすます」。
読みすすめていくうちに(みみをすましていくうちに)、
過去・現在・未来といった時間の制限を超え、
「ここにいる」という場所の制限を超え、
あらゆる時空へ意識が広がり、いつしか瞑想状態に入ってしまう。
文字を追ううちに、ヨガで瞑想をしているときと同じような意識状態になった。
文字はすべて、ひらがな。
漢字が混ざっているよりも余計な情報が入ってこない。
ひらがなのみで綴る魅力にも、あらためて気付かされる。
最後に、この詩は静かな場所で一人でゆったりと味わってほしいと書こうと思ったけど、
(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)
そう。
いまいる場所で、すべてのことに、みみをすましたほうがいいみたい。
0001:食べものの見えない力。-『自然のレッスン』
自然菜食カフェを開業する何年か前、
「いつかカフェをオープンしたら、絶対に、店内にこの言葉を大きく掲げたい!」
と決意する言葉に出合った。
わたしはこれこそが、食べることの「極意」であり、「真髄」の一部だと思っている。
セブン・ベーシック・フーズ 基本的な食べもの
一.全粒穀物(ホールグレイン)で、宇宙の力を。
二.緑や黄いろの野菜で、太陽の力を。
三.茎や根菜類で、月の力を。
四.豆類で、大地(アース)の力を。
五.海産物で、海の力を。
六.種子や木の実類(ナッツ)で、火の力を。
七.果実類で、星の力を。
ー北山耕平・著 『自然のレッスン』p.69より引用
食べものには、それぞれ見えない自然の力がある。
食べるということは、単に肉体への栄養補給だけではない。
食べることによって得る見えない自然の力が、わたしたちの身体を元気にしてくれているのかもしれない。
同じ野菜でも、太陽をたくさん浴びて育ったのか、土の中で育ったのかによって、持っている力が異なる。
そんな、見えない食べものの世界のことに、気付かせてくれた言葉。
マクロビオティックや中国の五行などを理解している方なら、すんなりと入ってくる考え方だと思うんだけど、わたしは当時こういった考え方に対して全くの素人だった。
誰でも、弱っているときや疲れているとき、ある食べものを口にした途端、全身に浸みわたっていくようにじんわりと広がっていってからだも心も一気に回復していくの体感したことがあるんじゃないかな。
わたしも、いつもそうだった。
どんなにフラフラに疲れていても、野菜たっぷりのごはんを食べるとすぐに元気になるわかりやすい体質。
野菜を食べるという単純な行為があまりにも自分にとって即効性のある回復法であるがゆえに、
「今、からだがこの食べものを必要としてたんやな!」と喜びを感じながらも、
「野菜や食べものって、なんでこんなに元気になれるんやろう…」と不思議に感動するばかり。
「なぜ食べものが“効く“のか」
の自分なりの正解を、ずっと上手く見つけられずにいた。
でもその答えを、冒頭で紹介した詩のように美しい言葉が教えてくれたのだ。
食べるだけで、太陽や月、星、宇宙、海、火、大地のパワーを自分の中に取り入れているなんて、なんか魔法みたい!
食べるときに、そんなすごいことをしていたのか。
だから、野菜を食べると元気になるのか。
食べものって、すごい。
何て尊いんだ…。
と。
では、もう一度引用。
セブン・ベーシック・フーズ 基本的な食べもの
一.全粒穀物(ホールグレイン)で、宇宙の力を。
二.緑や黄いろの野菜で、太陽の力を。
三.茎や根菜類で、月の力を。
四.豆類で、大地(アース)の力を。
五.海産物で、海の力を。
六.種子や木の実類(ナッツ)で、火の力を。
七.果実類で、星の力を。
ここに登場する“基本的な食べもの”は、
一、全粒粉穀物
二、緑黄色野菜
三、根菜類
四、豆類
五、海産物
六、種子・木の実類
七、果実類
の7つで、現代栄養学で必須とされている肉や魚、乳製品は含まれていない。
「お肉や魚や牛乳は、必要としている人が必要なときに必要な分だけ、いただけばいい。」
そう感じはじめていたわたしにとって、菜食でいいんだよと、正解をもらったような気分でもあった。
この1冊がなかったら、わたしのカフェは、自然菜食という軸からどこかでブレていたかもしれない。
今カフェでは、本『自然のレッスン』は、店の玄関から入ってすぐの一番目につく場所に飾らせてもらっています。
全190ページのなかで、このお気に入りが載っている69ページには、ちゃんと付箋も。

ひとりでも多くのお客さまが手に取って、見てくれるといいなと願いながら。
結局、店内にデカデカと掲げることにしなかったのは、現実的に著作権などが気になったのと、
「食べることの意味を、この言葉を通してみんなに感じてもらいたい」と純粋に思っていても、
「リスペクトしているこの言葉を、結果的に商売に利用してしまうことにならないだろうか」
と、著者に申し訳なさを感じてしまったから。
と同時に、
「壁に言葉がデカデカと書いてあるって、なんかラーメン屋さんみたいかも…」と気付いて、ちょっと可笑しくもあり。
とにもかくにも、著者・北山耕平さま。ありがとうございます。
やっぱり、書物は宝物。
余談)
今回は思い出の1ページだけについて語りましたが、この本では他にも、「こころ」「たべもの」「からだ」について、遠い田舎に行かずとも街でできるだけ自然に生きていく方法を示してくれています。
冒頭では、
この本は
とりあえずいまの生活を
もうすこしまともな方に
変えたいと考えているひとの
役に立つことを願って
つくられました。
と綴られていて、この言葉どおり、現代の街で暮らしていると忘れがちなこと、意識せずに過ごしてしまいそうなことを、長くむずかしい言葉ではなく、詩のように直感的で誰でも読みやすい言葉で問いかけ教えてくれます。
LINK:北山耕平さんブログ『Native Heart』内 記事「ぼく自身の著書のための広告●自然のレッスン」
著者:北山耕平
2001年8月7日新装第1刷発行
発行所:株式会社太田出版
印刷・製本:株式会社シナノ
目次情報
・イントロダクション
・第一部 こころのレッスン
・第二部 からだのレッスン
・第三部 食べもののレッスン
・あとがき
・さくいん
書物は、宝物。
photo by Burns Library, Boston College
わたしは、書物を宝物のように扱いたい。
本は、「紙」が集まってできている。
「紙」は、木や植物からできている。
木や植物が形を変えたものが、本。
この要素だけでも十分、宝物のように思える。
そこに、
人の叡智、
イマジネーション、
ある場所の瞬間、
技の集大成など、
あらゆるものが記録され、綴られ、包まれるように装丁が施される。
「自然 × 人間の創造性」の融合。
すばらしい。
ある日、「印刷技術が発達する15世紀までは、書物はとても貴重で、宝物のように扱われていた」と知った。
それまで本は、一文字ずつ人の手によって書き写され、とても希少。
聖書や様々な記録文書など、“真実”や知恵が綴られた書物は、一部の人のみ手にとることができるものだった。
写本一冊は、農場や家畜に匹敵するほどの価値だったという。
photo by * angelandim *『プリニウス 博物誌』
わたしにとって、書物は宝物。
本屋さんは、宝箱の中にいるような、贅沢な場所。
出版や編集の仕事は、宝物を自分の手でつくりだすことのできる、ワクワクする仕事。
はるか遠い昔から、世界中で無数の書物が生み出されてきた。
生きているあいだに出逢える書物よりも、出逢うことのできない書物のほうが圧倒的に多い。
本との出逢いは、行動とタイミング。
まるで、宝探し。
自分の部屋にもカフェにも、すてきな本をたくさん並べたい。
ここでは、わたしが出逢ったお気に入りの本をご紹介していきます。
「目にしてくれた誰か × 本」の、出逢いのきっかけになれたらうれしいな。
書物を宝物のように扱ってくれる人が、たくさん集まってくれるといいな。




